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TALKIN' 'BOUT KANAZAKl

by KOJl WAKUl

 「カナヤンで−す」と電話してくる加奈崎芳太郎は、いつも無邪気で、 朗らかで、人を楽しませることを忘れない、よく気がつく人だが、本当 は俺なんかが影を踏んではいけないほどの大先輩だ。俺が中学1年だった1972年の3月に"古井戸"でデビュー。「さなえちゃん」をヒットさ せ、頻繁にラジオやテレビに出ていたんだから、雲の上の人と言っても いいくらいなのに、数年前に初めて会った時から今日まで、少しも偉そうな顔をしたことがない。ステージでは"フォーク"の範疇からは明らかにはみ出す"パンクな顔"をのぞかせるし、その言動は泉谷しげるさんの向こうを張るようなところもあるが、オフの彼は実に優しい、常識的な人なのだ。ステージでのあれはきっと"照れ隠し"なのだろう。も っと言ってしまえば、自身へ向けての"批評性"ということか…。
 表現者は時として高みからものを言うような傾向にある。キャリアだけに乗っかって音楽業界全体を後ろ盾にしているような演歌歌手や、人生経験もない若僧のシンガーに"メッセージ"とやらを押し売りされるのは迷惑きわまりない。俺も表現者の端くれだが、そういった偉そうな輩には「一般大衆をなめんなよ!」と言ってやりたくなるのだ。
  加奈崎芳太郎の歌には"決定的なこと"が沢山詰まっている。現代人が抱える精紳的な枯渇や狂気、逼塞した状況に対する絶望、そして、絶対的な愛や、それを求める気持ち…。人間の醜い面も、美しい面も、包み隠さずさらけ出して、上辺だけの"きれいごと"を歌う瞬間なんてまったくないのである。だから時にはきつい。人としてお前はそれでいいのか、と反省を迫られているような気分になってしまうことだってある。サングラスの奥の眼差しが、戦国時代の武将のようにギラギラと殺気を放っているのは確実だ。もし彼がサングラスをはずしたら、観客はヘビに睨まれたカエルのようになってしまうだろう。だからか、彼は黒いサングラスを決してはずさない。そして、そんなきつい歌を終えるといつも決まってこう言うのだ。「な−んちゃってえ〜」
  すると観客はほっと胸を撫で下ろし、百倍に増幅された彼の人間愛に涙するのである。
 50歳を超えてなお鈍く光る怒りの刃を社会や時代に向ける加奈崎。50歳を超えたからこその優しさで人間を包む加奈崎。どちらも本物、どちらも真実だ。来るべき新世紀に、そんな加奈崎芳太郎の歌が「どう響くか」、俺は楽しみでならない。

1999年12月 和久井光司

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